先日噴火した草津白根山のニュースに、一瞬凍り付いた。
数年前に警戒レベルがあがり、志賀高原に抜ける道路が
通行規制がかかった事も、記憶に新しいところへきての事だった。
ここ数年、地震、噴火、台風、寒波など、天災ともいうべき
災害が多くなっている。
日常の生活を脅かす脅威の中で、どう生き抜くかも
現代を生きる人々の課題となっていると思うのである。
こんな天災も地球レベルの歴史の中では、小さな出来事であるが、
そんな生ける地球の歴史の中に、僕たちは生きているのだとも
改めて実感する瞬間である。
僕が山へ登る理由は、これと言って特になく。
体力作りの一環として、今も続けている。
登山に対し、憑りつかれた感じはないのだけど、
やるからには真剣に取り組んでいる。
以前から交流のあった登山を良く知る知人が、
僕が登山を始める時に話していたことを、
草津白根山の噴火のニュースを見て思い出した。
山に登る行為は、獣の檻に丸腰で入るようなものだと言っていた。
単にもののけの住む地に、足を踏み入れると言うだけの事ではなく、
御嶽山の噴火のように、多くの登山者を巻き込む被害に繋がる事もある。
天候の悪化だけでも、死に繫がる。
己の未熟ささえも、命とりになるのだと、
山と言う懐に踏み入れた瞬間から、鋭い牙で狙われている
ようなものだと教えてくれたのだ。
もうずいぶん前の事で忘れていたこともあったのだが、
この事を教えてもらったことで、今までも登山をする上で
意識としてあったから、今まで安全に楽しめたのかもしれない。
天災はいつ起きるかわからない。
僕はこのブログのタイトルのように、
明日なきものとして生きるを信念にしているけど、
どんなことがあろうと、無事に帰って来れるように
悔いが残らぬよう、その時のベストを尽くしたいと思う。
最後に今回草津白根山噴火の被害にあわれた方のご冥福と、
負傷された方たちが一日も早く全治しますよう、
心よりお祈り申し上げます。