毎日を明日なきものとして生きる

外遊びの楽しさを探すブログ

初挑戦 その2

この日1番の魚が出た事で、足取りも軽く魚止めまで登って行く。

相変わらず反応はすこぶる良いのだけど、

元気な子供たちがじゃれついてくるばかりだった。

魚の反応を見るにはこの上ない状況で、

岩に沿って定位して、流下物を狙っている子たちを観察していた。

ハッチもみれるのだが、どうやら目の前で定位している

魚が狙っているのは違う物のようだ。

しばらくすると、水面をパタパタと叩きながら、

蛾のような虫が流下していく。

それを手のひらほどのヤマメが水面下で狙いを定め、

虫の動きに合わせてライズするのだが、

いまいち食うのが下手で、何度も空振りをしていいるのを見て、

おー!おー!っと思わず声が出てしまった。

5回目辺りで水面から身を乗り出してライズするをと、

見事餌をキャッチすることができたのを見て、

手を叩いて僕も喜んだ。

ここに住んでいる魚たちは素直で、

自分の知らなかった、魚のあるべき姿みたいなものを

知ることが出来る。

そんな世界で釣りができる事が、ただただ幸せであると思うのだ。

 
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反応が薄れてきたところで、今回のお楽しみの1つを始めた。

登山もほとんど単独なので、ついつい昼飯はコンビニのおにぎり

だったり、味気のない物になりがちである。

誰かと一緒だから、ストーブを用意したり、

お湯を沸かすための水を持ってきたり、そんなことも苦ではなく、

本当はこんなことも憧れで、良い機会だったことは間違いない。

河原でおにぎりとカップラーメン、食後のコーヒーをいただいて、

再び山道を上流に向け出発した。

 

地図を見ながら河原にアクセスできそうなところを探すものの、

初めての川なのでそのポイントがなかなか見つからない。

時間的にもある程度のところまで登り、そこから引き返して

下り方面でポイントを探すことにした。

上流方面も目で見られる事ができたので、

再び訪れる時のイメージができるので、これは良い経験とななることだろう。

 そうやって1つ1つ正解に近づく過程が何より楽しく、

いつかその正解に巡りあった日に、この日の事を思い出すことだろう。

それが誰かと同じ時間を共有した人が一緒にいれば、

それは永遠の思い出になるに違いない。

 
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時間を見て下山の方向へ足を向け、登ってきた道に

アクセスポイントが無いか確認しながら歩いた。

これは結構重要で、登りで気づかない事があっても、

逆方面の下りの場合気づくことも多々ある。

それは単純に進行方向の違いで、景色を認識しずらいこともあるだろう。

登山で道に迷った時、引き返した道で再び道に迷うケースもあると言う。

あわよくばの1尾と、次に向けての復習もかねて、

2人で「ここはアクセスできそうだ」なんて話しながら、

来た道を戻っていった。

 

序盤の方で現れた分岐点に到着した。

時間を見ても下見できる時間はありそうだ。

しばらく下って行くと、川の音が徐々に大きくなり、

河原まで降りられそうな場所を見つけた。

「最後に少しだけやりましょうか」

どちらからともなく出た言葉に、今日のラストのポイントが決まった。

結構な斜面を下りきると、あまり移動はできない

小さなポイントが現れた。

しかし、激流、水深のある反転流、たるみから瀬、

複合的な要素のあるポイントに、子供のように目は輝き、

弾む会話はワクワクする気持ちの表れであり、

その会話がそのワクワクを煽るように気持ちは高揚していく。

先に準備ができた友人にポイントを譲り、

僕は水分補給をしながらリーダーをチェックし、準備を進めていると、

僅か数投した友人が何やら叫んでいたのだが、

激流の音に消されて聞こえていなかった。

ルアーを結び終え、ふと顔を上げると、

目に飛び込んできたのは、大きく曲がった友人の竿だった。

ランディングネットに無事キャッチされた魚は、

目測でも尺は超えている。

なぜ目測でわかったのかと言うと、僕が作ったランディングネットで、

間口の大きさを知っているからだ。

2人喜びを分かち合う前に、記念撮影を済ませるべく、

浅瀬に魚を置こうとしたその時、もんどりうって河原を跳ね、

水の中に戻って行った。

せっかくの記念だったのだが、大丈夫逃げた魚は大きかったと、

証人がここにいる。

凄い凄いと、魚との出会いに喜び、ここにたどり着くまで

諦めなかった事に、お互いを称えあう。

写真が残らなかったのは残念だけど、それも良い思い出だろう。

 

そろそろ、時間的にも楽しい時間は僅かとなった。

根掛で切れたルアーを結ぼうか、どうしようかと考えていると、

さっきまで僕が散々流したポイントに入った友人が、

再び大きく竿を曲げていた。

デジャブか、いや、彼と釣りをしていると何かしら起してくれる。

魚に好かれる釣人、そんな人がいるなら彼の事だろう。

 
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その魚が嬉しいと思える。

僕の作ったランディングネットに魚が入る瞬間を、

彼は2年も連続して僕に見せてくれた。

なぜだか自分の中で、何かやり遂げた感じになっていた。

山を登り、谷を下り、苦楽を共にしたからこそ、分かち合える喜びが、

自分の事のように嬉しく感じることなんて、

普段の生活の中で家族のこと以外にあるだろうか。

そう、家族以外の出来事で喜べるなんて、

大げさなようだけど幸せなことである。

 

帰りの車の中では、今日の釣りの事、さらには次回の作戦。

地図が必要だとか、トレーニングをしようとか。

今日が終わる前に、すでに明日を見ている。

そんな空間をこれからますます大事にしたいと思った。