毎日を明日なきものとして生きる

外遊びの楽しさを探すブログ

僕の夏休み その3

毎日を明日なきものとして生きる。

それは一期一会と同じ意味である。

魚との出会いを半信半疑、思い起こしていた。

リーダーに触れると、かなり傷が入っていた。

よく耐えたなぁ。

何度か潜られたあの時に入った傷だと、

すぐに思い浮かんだ。

木の下に入り、雨をしのぎながらリーダーを結びなおす。

今までは渓魚には十分すぎる太さのリーダーを使っているので、

少々の傷ではそのまま使ってしまう事もあった。

しかし、一度の魚との出会いが慎重さにさせる。

百聞は一見に如かずとはまさにこの事。

経験と言う物の偉大さに、未だ収まる事のない鼓動の中、

今更ながら思い知らされていた。

 

雨脚の弱まるタイミングでキャストを開始。

恐らく何も出ないであろう、先ほどの魚の出た小さな渕に

数度キャストしたが、案の定反応はない。

名残惜しく上流を目指した。

崩れた護岸と、大きな石が構成するストラクチャーに、

反転流が巻いているえぐれのポイントが現れた。

前回来た記憶だと、こんなストラクチャーはなかった気がしたが、

崩れた護岸が新たに作り出したポイントだろう。

川は常に変化をするもの、前回良かったからと言って、

今回は良いとは限らない。

こうやって、新たなポイントを作り出す事もあれば、

その逆に絶好のポイントが消滅することもある。

ひと時もその形を留めない川は、まさに生ある自然そのものでると思う。

 

見た目とは裏腹に、魚からの反応は得られないえいた。

ルアーを変え、タイトにストラクチャーに落とし、

ドリフトさせてその奥へとルアーを入れていく。

するとすぐに魚からの反応、すかさず合わせると

ほんの数秒でバラシてしまう。

くぅ~!

予想通りの展開に、思わず声が出た。

すぐさま次のキャストを先ほどのヒットコースに入れる。

するとまさかの2発連続のヒットも、今度は流れに入ったところでバラシ。

それは後2回も繰り返されるほどの奇跡的な展開であったが、

計4回やっても釣れない事の喪失感たるや、語りようがない。

次のキャストをしようとすると、三度激しい雨が降り出した。

その雨は視界を遮るほどの雨で、少しずつ濁りも入ってきた。

そろそろ潮時、少し木の下で様子を見たが、

さらに激しさを増す雨に、潔く撤収することにした。

 

日付は変わり翌早朝。

昨晩は昨日の魚の衝撃が強かったせいか、

覚えてはいないが、楽しい夢を見た。

楽しかった僕の夏休みも残り2日。

最終日は移動日になってしまうので、この日が実質の最終日。

何をしようかと悩んだが、悔いの残らないよう渓に向かった。

昨日の答え合わせの意味もあり、二匹目のどじょうを捕まえるべく、

早朝から渓に入る。

豪雨ではあったものの、その雨は短時間であがり、

上流に砂防ダムを構え、支流の少ないあの川であれば、

すでに回復してさらに渇水からの雨で、

魚も活性も上がっているのではと予想した。

 

河原に近づくと予想通り、濁りは消えていた。

水位も下がっていたものの、先日の渇水時の水位からは

上がっているように見えた。

いやがおうにも高まる期待感。

テンポよく打ちあがり、確信のあるポイントに向け、

足早に打ちあがって行った。

しかし、魚の反応はおろか、ルアーに群がってきた幼魚の姿も少ない。

しかも、その魚のやる気もなく、チェイスもほとんどない。

まさか、という嫌な予感と、焦りが重なり、

キャストミスも多く、ポイントを潰すこともしばしば。

この時ばかりは本当に釣りの難しさを痛感した。

読めた天候と川の状態、しかし魚の状態は読めなかった。

最後の最後まで1つのアタリもなく、完全なデコり。

完敗である。

まぁ、1回くらい良かったからって、調子に乗るなよと

釣りの神様が言っているようだった。

 

こうやって僕の夏休みが終わった。

渓は惨敗だったが、子供とお義父さんと行った海釣は、

潮が悪くてダメだろうと諦めていたのに、

まさかのチヌや大きなキスが釣れ、つくづく釣りはわからないと言う

答えにたどり着くのであった。

そこが釣りの面白いところでもある。

自然相手の遊びは、自分の考えも及ばない答えが返ってくるのは、

今ではだいぶ慣れた事だ。

こうやって記事に書き起こす事によって、

感動や落胆、色んな感情に包まれ、

感情が高ぶっていく感覚に襲われる。

もう一度あの感情に包まれたい。

もう一度あの景色にを見てみたい。

それが僕を突き動かす、原動力になっているんだと思うことがある。

釣りを再開して、丸10年。渓を初めて7年が経過した。

自分には釣れないだろうと半ば諦めていたけど、

諦めなければなんとかなる事が、自分が通ってきた道が、

間違えていなかったのかと思わせてくれた、

この夏が最高に嬉しいと思っている。

そんな平成最後の夏は、特に記憶に残る思い出ができたのだった。

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おわり