毎日を明日なきものとして生きる

外遊びの楽しさを探すブログ

メタニウムMg7

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このコロナ禍で、外遊びに行くにも思うように行く事ができず、

モヤモヤとした日々を皆さんも送っている事と思います。

どうも何か好きな事をしようと考えた時、色んな制限の事を考えると

なんだか行動自体が億劫になったりすることもしばしば。

何かすっきりとせず、遊ぶことへ集中できない事が、

行動を鈍らせているのかもしれない。

 

そんな中、ブログを更新しようと、何を書こうか考えていると、

この春に整理した釣具のネタでもまとめることにした。

 

最初はシマノのリール、メタニウムMg7

これは釣りを再開して最初に買ったベイトリールである。

その当時はバス釣りしかやっておらず、メインのスタイルだった

プラグを投げる為にこのリールを購入した。

マグナムライトスプールと新しいSVSが搭載され、

初心者に毛が生えたような僕でも非常に使いやすく、

ブレーキシステムの恩恵で下手くそなキャストでも

なんとか釣りにはなっていたところを見ると、

その性能は明白だったと思います。

 

忘れもしないのは、このリールのデビューで、75cmの鯉が釣れた事。

ナイロン14lbがキリキリと糸鳴りしてドラグを引き出し、

上手く巻くこともできず、あたふたした記憶が残っています。

目的のバスではなかった事、鯉がプラグで釣れた事、

丘に上げた時の大きさにビビった事。

色々な思い出ができたデビュー戦でした。

 

何と言っても使用幅の広さには助けられました。

最初にベイトタックルでライトなリグに挑戦した際も、

6lbを巻いたメタマグで、3インチのセンコーから始めました。

当時竿も軽いルアーを投げる為の物ではなく、

間に合わせの竿を代用していたので、十分に実釣レベルだったかと

言われればそうでもありませんが、ベイトでもスピニングのような

釣り方ができるのだと自信になった切っ掛けにもなりました。

 

その後、ヘビキャロのような遠投する釣法でも、

本流の鱒、キス釣り、ロックフィッシュ、シーバス、

フラットフィッシュ、ライトジギング・・・

何かに挑戦する時は、その傍らにこのリールが一緒だった。

他にリールが増え、その出番が徐々に少なくなっていってしまったけど、

なんとなく売る事も、人にあげる事もなく、

いまでも棚にしまわれている。

コロナの騒ぎが落ち着いたら、野池でも行ってバズベイトのような

釣りもしたいなぁなんて思います。

 

 

Camp at social distance

梅雨明けが遅れた2020年の夏。

コロナの影響もあり、今年初のキャンプに出掛けた。

本当は都心の方の友人家族と一緒に出掛けるはずだったが、

キャンプの前の感染者増加を受け、友人家族は自粛に至った。

屋外のリクリエーションとは言え、大勢でのバーベキューなどは

大皿料理もあって感染リスクは高まると、友人の冷静な判断。

しかも、アルコールが入れば、気持ちも大きくなりマスクなしで

談笑に花が咲く。

毎年恒例だし、年に数度しか会えないだけに、

キャンプに行きたいと言う気持ちを抑え、

キャンセルすると言っていたのが印象に残った。

幸いな事に僕の住む県とキャンプに行く県は、

感染者数も少なく、自粛要請もない。

家族だけのキャンプで、感染予防を万全に

予定通りキャンプに向かう事とした。

 

梅雨空の元、断続的に降る雨の中、明るいうちにテントを設営。

キャンプ場も感染予防の対策で、サイトは1つ置きに配置されていた。

夏のピーク時であればギッシリキャンパーで埋められるサイトも、

雨でのキャンセルと自粛の影響あるのだろう、明らかに客は少なかった。

 

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夕食のバーベキューの後、シトシトとタープを打つ雨の中、

ぼんやり焚火の炎を見ながら、家族と色んな話をする。

朝が早く、疲れとアルコールのお陰で、ウトウトしながらも、

ゆっくりと流れる時間が心地良い。

雨のお陰で夜は涼しく、雨のキャンプは嫌な事ばかりではない。

ひと時、世の中の嫌な事や聞きたくもない事から離れ、

そんな毎日の出来事がまるでなかったかのように、

ひと時の間忘れさせてくれた。

本来なら感染予防とかマスクはマナーとか、

そんな事はなかったことにしたいのは山々であるが、

それをなかったことになんてできない今、

どうあるべきかは個々に考えていかなければならないのかなぁと思う。

巷では、キャンプやバーベキューと言った、一見安全であろう遊びから

感染が広がっているようです。

確かに密にはならない環境だけど、テントの中やタープの中など、

密な環境はできやすい。

テントとの間隔があることで、自分のサイトで過ごす間は

殆どの人がマスクを外している。

確かにせっかく空気の綺麗なところへきて、

息苦しいマスクから解放されたいと思うだろうけど、

トイレや炊事場ではどこから来たのかわからない人と

接触する確率は十分にある。しかし、流れでマスクをしないまま

行き来する人がほとんどであった。

それに感染のリスクがどれだけあるかなんてわからない、

しかし自分や同行者の人が楽しいと思う事や、

楽しい趣味から感染者を出さないようにしなければならないと思うのは

僕だけなのだろうか。

でも、これはマナーの問題で、感染症予防だけの事ではなく、

昨今のキャンプブームの中、取沙汰される問題なんだと思います。

そんな夜のまどろみの中、ぼんやりそんな事を考えていた。

僕は自粛警察ではありたくないので、そう言う場からは

距離を取るように気を付けています。

 

 

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翌日、空が明るくなり清々しい山の空気。

何も考えることなく、笑って過ごせる日が訪れるように、

今自分が出来ることをやって行きたいと思いました。

 

毎年恒例のキャンプなのだが、今年は色んな事を考えさせられる

そんな今年のキャンプでした。

 

毎日を明日なきものとして生きる

このブログを始めてから、8月で丸4年。

複雑な切っ掛けで始めたこのブログではあったが、

なんとかここまでやってこれたという感じだ。

そんな今回はとある人からいただいた、

当ブログのタイトルにもなっているありがたい言葉、

『毎日を明日なきものとして生きる』より、

たまにはちょっと深い話をしてみようと思う。

 

まず、このブログのタイトルである、『毎日を明日なきものとして生きる』は

どうやってつけられたかから始めよう。

この言葉から切迫したような、追い詰められたような、

そんな印象を受ける人もいるかもしれない。

しかし、本当の意味はいわゆる『一期一会』を

飾らずに現した表現だとのことです。

人生で一度きりの出来事、それはいつどこで訪れるか

誰も知る由もなく、その一瞬、一瞬を大事にすると言う意味がある。

しかし、一期一会と言う熟語は、あまりにも表現が綺麗であって、

本来日常我々が生活する中で、いつもそんな風に綺麗には

残念ながら全てが行かないことの方が多く、もっと泥臭く、

生活じみた事の方が多い。

もし、自分に明日が無かったとする。

そうしたら、小さなことにでも何かを見つけられるのではないか。

そんなところから、この『毎日を明日なきものとして生きる』が

気に入っているとこの言葉を頂いた方は、そう言っていた。

 

妙な流行病、未曾有の災害、ネット社会の闇、

妬みや憎しみ、そしてそんな毎日に落胆し、絶望する事も

生きていく中であざなえる縄の如く毎日訪れて来る。

そんな中でも、僕たちは生きていかねばならないと言う、

無機質な、いわば責任感のようなものに苛まれて生きていないだろうか。

この絶えず『繋がり」続けるこの世の中にあって、

尚、孤独を感じる事はないだろうか。

たまに、「明日が来なければ幸せなのかなあ」と言う時も

あったりするのも事実である。

しかし、そんな時でもどんな人でも平等に明日はやってくる。

突然命を奪われったり、輝ける栄光を前に病に伏せたり、

不平等だと思う出来事だって山のようにあるだろが、

そんな中でも明日が ”やってきて” しまう事もあるのだ。

そんな時、自分に明日が無ければどうするだろうと考える。

自分に後ろめたい事はないか、誰か大切な人に優しくしてあげられているか、

やり残したことはないか、今の自分に出来ることはないか、

また今度と言って遠回しに逃げていることはないか、

トイレの蓋は閉めているのか、靴下は洗濯カゴにいれているのか、

後悔は少しでもないだろうか。

『毎日を明日なきものとして生きる』

それは、生きるためのヒントになると、

僕は信じてこのブログを続けたいと思う。

 

なんだか節目に、壮大なテーマを綴ってしまったけど、

このブログのタイトルは、毎日を楽しく、そして、

人生に色彩を与える、大げさだけど、そんな言葉であると思う。

 

何の足しにもならないと思いますが、

こんな毎日を何にも考えなく生きているヤツも、

世の中にはいるって事を、少しでも知って欲しいと思う次第であります。

 

最後に、4年間見続けてくれている皆様、

さらにはこのブログの前身を含めて12年間、

見続けている方々に、ありがとうとこの場を借りて伝えたいと思います。

 

そんな壮大な意味のある当ブログのタイトルですが、

これからも些細な日常と、ちょっとした刺激を、

書き綴って行きたいと思います。

これからもよろしくお願いします。

 

カルカッタコンクエスト

僕が渓流で愛用しているリールは、

カルカッタコンクエスト51 シャロースプールスペシャル。

僕が購入して12年ほど経過した。

スプールやブレーキシステムの変更で、未だに1軍を張っている。

バスをやっている時に使い始め、その後渓流用として愛用してきた。

一時は同じリールを2台所有していたぐらいお気に入りであった。

しかし、販売終了からだいぶたち、交換部品がでなくなっている事に、

いつも不安を感じていた。

色々な要素で、他に予備のリールに欲しい物が無く、

ずっと買いあぐねてきたのだけど、ひょんな切っ掛けで

新しい渓流用のリールを買う事になった。

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カルカッタコンクエストBFS

ベイトフィネスとか言う、流行に乗っかっているぽくって、

発売以来ずっと買いあぐねてきた。

最近のリールの飛びがどの程度なのかはわからないけど、

僕の愛用するカルコンだって、必要十分な飛距離は出せる。

そこも購入に踏み切れなかった部分でもあるが、

スペアと言う考え方もできると納得し、

思い切って購入することにした。

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カルコン51に比べると、小さく、そしてさらにロープロになっている。

ロッドにセットして握った時の感覚は、明らかに小さい。

重量の違いは僅かだが、そのコンパクトさから数字以上に軽く感じた。

BFSから51に交換すると、カルコン50と100の違いぐらいに感じる。

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カルコン51の後にカーディフDC51を購入して持っている。

今ではまったく出番も無くなってしまったが、

これも良いリールだった。

ボディーはカルカッタコンクエスト50シリーズと同じ大きさで、

ブレーキシステムにDCが搭載された。

話すと長くなるので、リールの話はまたいずれゆっくりすることにしよう。

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そんなわけで久しぶりにリールが増えました。

初めての経験

前回までの雷魚釣行で、面白い初めての経験をした。

 

水路を雷魚を探して歩いていると、

向こうの方で水辺にしゃがみ込んでいる友人の姿があった。

何をやっているのだろうと近づくと、

友人が竿の先で岸際の水面辺りをぐるりと指した。

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その雷魚はフロッグに反応することも、逃げる事もせず、

岸から手の届きそうな場所でじっとしている。

特に外傷のようなものは無く、魚体は綺麗なように見えた。

あまりにも動かないので生きているか竿先で鼻先を軽く突くと、

面倒くさそうに器用にバックして、対岸の水生植物の中に

車庫入れしていった。

 

そんな面白い体験を、後日雷魚の事に詳しい友人に話すと、

妊婦だったのではないかと回答が返ってきた。

それを聞いて、悪い事をしたなぁ・・・と罪悪感に苛まれたが、

同時に次世代への命が繋がれるであろうその出来事に、

何とも言えない嬉しい気持ちになるできごとした。

雷魚と言う魚

前回のつづきです。

 

車を使って大きく移動する。

飲み物を補充して、水路沿いに車を停めた。

2人ほどか釣り人とすれ違ったが、持っていたタックルから

どうやら違う魚種狙いの人のようだった。

水路沿いの土手の上から魚影を探して歩く。

水生植物が少なく、何尾か雷魚を見つけられたのだが、

相手に先に気づかれたり、目につきやすいポイントなので

叩かれているのか、全く無反応の魚もいた。

フロッグが着水するやいなや、緩慢な動きで面倒くさそうに

対岸の岩陰に身を隠していった。

 

土手沿いを歩き、その先にある池に移動した。

こちらもほぼオープンで、対岸の葦際を狙うしかない。

朝のポイントより雰囲気はあまり感じられなかったが、

集中力を切らすことなく攻め続けられたのは、

朝の友人のバラシがあったからに違いない。

しかし、魚からの反応が返ってくることは無く、

一度昼食を挟んで、再び朝の池に戻ることにした。

 

遠征している事もあり、時間は限られていた。

コンビニで昼食を買って、池のほとりのベンチで弁当を開く。

もう何年前になるだろう、どこかの湖のほとりのあずまやで

こうやって同じ友人と釣りの途中に昼食を食べた事を思い出した。

何年経ってもやる事は変わっていない、そんな事を確認できる

良い出来事だった。

朝も早かったし、昼寝をしたいところだったけど、

眠気を飲み込んで竿を担いで、再びポイントへ向かった。

 

日曜という事もあり、池のほとりに遊びに来た家族連れが多くいた。

遊具も何もない、遊歩道が池の周りを一周しているだけのところだったが、

自粛疲れなのか屋外で出来ることを探し、”密”にならない場所に、

癒しを求めてきたのだろう。

 

回り込んで朝の水路を重点的に探索することにした。

池の方には先行者の姿もあったし、釣り以外の人の往来もあったので、

それらを避けるのも目的ではあった。

朝見た水門周りを2人で眺めていると、いきなりそこそこのサイズの

魚が往来していた。

それは紛れもなく追い求めた雷魚の姿である。

しかし、やはり見えている魚はプレッシャーからなのか

フロッグを明らかに嫌がっていた。

いきなり魚影を確認できた事もあり、ラストスパートへの集中力も上がる。

眠気を吹っ飛ばすには十分すぎる出来事であった。

ここからは友人と上流と下流で二手に分かれて雷魚を探す。

自転車に乗った男の子達が、土手沿いを走っていた。

その手には虫取り網を持ち、自転車のカゴには虫かごが入っていた。

最近の子供は外で遊ばなくなったなんて言っていたが、

元気に自転車を走らせているその子たちを見て、

自然と自分の幼い頃と重ねていた。

昔はここも自然に囲まれ、魚も多く生息したのかもしれない。

僕の実家の方でもこんな環境がもっとあったような記憶はある。

しかし、その時はそこにある自然は当たり前で、

特別ありがたいと思う事もなかったし、近くに雷魚だっていたかもしれない。

その事に気づくことができなかったのは、とても残念でならないけど、

こんな年になってもそのありがたさに気づけたことは、

とても大きなことに思えるのである。

 

雷魚の釣りの環境で、僕がイメージする景色、

水生植物が生い茂り、そこを求めて集まる生物の活気が

静かにあふれだし、そこに燦々と日光が降り注ぐ。

いつしか魚を追い求めることより、そんな環境の中

竿を振ることが目的にすり替わっていた気がした。

例えそんな環境があったとしても、魚に合う事すら叶わず、

その環境と魚との出会いがリンクする事はかつてなかった。

そんな事をぼんやり考えながら、魚を探して歩を進めた。

 

水面を注視しながらふと対岸の水面を覆う木の下に、魚影を見つけた。

今までやっていたことが正解だったのかはわからないが、

今までやってきたように静かに間合を詰めていく。

魚の向きを確認しながら、フロッグの落とし場所を探して模索する。

覚悟を決めてオーバーハングした木を絡められる位置にフロッグが落ちた。

しばらく静止させたその時間が長く感じる。

汗ばむ手で竿のグリップをギュッと握りなおし、

リールでスラッグを調整して、いざアクションを入れる。

水面にフロッグの小さな波紋が広がると、スッと魚の頭が

フロッグの方に向いたように見えた。

再び静止させると魚の方もそのままフロッグを見たままの態勢を保っている。

いつも迷う、ここから動かすべきか、それとも止めておくべきか、

はたまたシェイクで誘うのか。

結局正解は魚が釣れた時にでるものであって、こんな魚と対峙するチャンスに

今まで恵まれなかった事で、余計な迷いに包まれていた。

意を決し、弱々しいアクションを入れる、次の瞬間ゆっくり

フロッグに魚が近づいてきた。

来る!

何の根拠もなかったが、その魚が近づく速度でそんなことを直感した。

雷魚がバイトする瞬間を初めて目視する。

何の躊躇もなく、水面付近ではじけ飛ぶ飛沫を確認し、

力いっぱい竿を立てた。

その重みが竿全体に乗ると、続けざまに大きなうねりのような

ヘッドシェイク、本当にフッキングしているのか?と言う不安感、

土手の傾斜も加勢して引っ張り込まれるような感覚を伴う。

リールを巻いた次の瞬間、ギンギンに引っ張られた10号のラインは、

力なく垂れ下がり、ふわりと水面の投げだされた。

一瞬頭の中が真っ白で、目の前で起きた出来事を

理解できないでただ立っていた。

長年のこの呪縛から解放される、そんなことが魚とのやり取りの間

脳裏を過った事を思い出す。

自分の詰めの甘さを痛感することとなった。

 

しばらくの放心状態を経て、友人のところまで来た土手の道を戻る。

友人にその出来事を伝えると、その悔しさを共感してくれた。

こんな時、友人と一緒に釣りをすることの良さを

改めて感じる事が出来る。

残念ながら2人とも仲良く1バラシずつで、

痛み分けと言う形でこの日の釣行は終了した。

帰りの車の中、どうすれば釣れたか?と、次はどこに行くか?

と言う話で盛り上がったことは、解り切ったことであった。

 

何年かぶりの雷魚釣行、今回もまた黒星をふやしただけであったが、

憧れの魚は、憧れのままが良いような気持ちも少なからずある。

格好つけるわけではないけど、ここまできたら釣れてしまった後、

どういう心境になるのかが心配になることもある、複雑な心境なのだ。

いずれにせよ、次への期待は膨らむのである。

初夏の匂い

前回からの続きです。

 

朝焼けの空はすでに青空となり、より一層生き物の気配が強くなってきた。

ウシガエルの鳴き声、コイが朝の回遊に出て、かなり沖なのに

サギが池の中に突っ立っている。

何とも言えぬ生命感に、懐かしい高揚感が胸をすく。

その胸の高鳴りを抑え込み、水面を覆った水生植物を注視しながら

水辺をゆっくり探索していく。

怪しいところは一応探って行くが、なるべくなら無駄打ちしたくない

と言う気持ちで、振りかぶってキャストを止めた。

少し離れたところで、友人が丁寧にサソイを掛けている姿がみえた。

こんな遠くから友人の釣りを眺めるのも、久しぶりな事である。

昔から変わらない、一緒に行った時は友人の釣りが気になるのだ。

それは相手が釣れた釣れないでも、ライバル視でも、抜け駆けでもなく、

単純に友人の釣りが好きなのだ。

 

この日は真夏かと思わせるような日差しで、ポイントを移動するたびに

汗が噴き出てくる。

対岸の方まで回り込み、他のポイントを広く探ることにした。

葦の隙間で1人が立てるポイントが点在する場所で、

友人と順番に先行を入れ替わりながら探索を進めて行った。

 

いくつ目かのポイントで、足元の水生植物の間を行き来する、

20cm程度の雷魚の姿があたった。

それだけでも興奮する。

育ち盛りのヤツは観察だけにとどめておいて、

その向こうの葦を狙い撃つ。

何投目かの回収の時、友人が向こうから歩いてくるのが見えた。

向こうの方で、今しがた良いサイズをバラしたとのことだ。

自分でなくても、魚の反応があっただけで嬉しくなる。

聞けば足元の葦まで寄せてきたのだが、もう一歩のところで

葦に巻かれ、最後は入水までしたのだが取り逃がしてしまったそうな。

そんな話も励みになるし、やっぱり誰かと一緒に釣りをするのは、

感情の共有できるところが、良いところなのだと思う。

 

友人に魚の反応があって、小型の雷魚も目撃した。

僕は何の反応もないけど、集中力は途切れず、

次のポイント、次のポイントと貪欲に1尾を追い求めて行った。

朝に見た対岸のところまでやってくると、水門から水路が続いていた。

その時は何気なく探索していたのだけど、本当はこう言うところが

ポイントなんだと後に気づくことになった。

 

日は高くなり、反応の薄さ、魚影の少なさから大きく移動をすることになった。

 

つづく