毎日を明日なきものとして生きる

外遊びの楽しさを探すブログ

雪道

ジムニーでちょっと遠出。

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やっぱり悪路や雪道走りたくなる気持ちは、

ジムニー乗りなら解ってくれるはず。

気合を入れて北へ向かうけど、先取りし過ぎた気温と

少しタイミングを外したことで、道路には全く雪が無かった。

それに雪の降る地方は除雪が行き届いているので、

主要幹線道路は雪が降った直後でも雪が無い事が多い。

チェーンを装着する駐車場のような広い待避所の端の方に

僅かに残っていた雪の上で新しいスタッドレスと、

新型ジムニーの四駆の性能をちょっと試して、

とりあえず目的は果たせた。

帰りに温泉寄って、家路に付いて写真を見ると、

やっぱりこういう景色ってジムニーに合うなぁと一人納得した、

久々のドライブでした。

待ち時間

毎年庭にやってくるシジュウカラ

やってくると言っても、餌場と水場を作っているので来てくれるのですが、

そんなヤツらにも個性があるみたいで、写真を撮らせてくれるヤツと

そうでない奴がいたりする。

シジュウカラは住宅地に近い場所に生息するので、

比較的人間には慣れているのだけど、

なにか他の事をしてたり、通り過ぎるだけの時には大丈夫でも、

カメラを持って待っていても、カメラを構えた瞬間に逃げていく。

まぁ、自分の殺気やカメラの腕もあるだろうけど、

今年のヤツらは本当に写真に収まってくれない。

こんなことでは野生の野鳥を撮るなんて、夢のまた夢である。

 

そんな待ち時間に、僕を不憫に思ったのかヒヨドリが枝にとまった。

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たまに水場へ他の野鳥もやってくるのだが、

近くに植えてある蝋梅の芽か何かを食べにくるついでに

水場にいる姿を良く見る。

君のお陰でシャッターが切れました。

ここぞとばかりに撮ったわりには、写真の出来は今一つ。

これじゃせっかくモデルを買って出てくれたヒヨドリにも申し訳がない。
精進せねばと思う休日でした。

カルカッタコンクエスト2

カルカッタコンクエスト51Sを買うにあたっての経緯。

それは当時ハマってうたバス釣りの中に、その理由がある。

 

その当時、スピニングとベイトは持っていた。

一般的なバス釣りと同じく、スピニングは5lbのラインでワームやシャッド。

ベイトは10~14lbのラインで、いわゆる巻物をやっていた。

ある日、水生植物の混んだ池と出会い、スピニングでは取り込みが心配で、

かといってラバージグやテキサスのようなものでは釣れない。

3インチ程度のノーシンカーが一番有効であった。

僕は考えた末、8lbのナイロンをベイトに巻き、ノーシンカーで

水生植物の隙間を狙った。

もちろん掛けても潜られてしまえば終わりなので、

掛けてからスペースに誘導できるところまでルアーを飛ばさなければならず、

ワームにフォールに邪魔にならない程度のネイルシンカーを仕込んだり、

季節によって水生植物の少ない時には、フロロ6lbを使ったこともある。

後に、同じような事を川の石積やテトラでもやった。

その時、スピニングとベイトの釣れ方の違いを考えるようになった。

それは単なる僕の妄想だったのかもしれない。

しかし、より軽いルアーをベイトで使うために釣具を一新させた。

 

まず、竿とリールだ。

リールはピクシーにしようか、プレッソにしようかと

言うところで悩んでいた。

友人との何気ない会話で、全く視野になかった

カルカッタコンクエスト51Sの選択肢が浮上。

当時、ベイトはロープロがカッコ良く、レトロな丸形で

金ピカのボディーがいまいち好きになれなかった。

しかし、最終的な決め手はその容姿であった。

矛盾しているが、その時は全くその気はなかったが、

将来渓流をやる時に使えそうと言うのが決定打だった気がする。

 

竿はしばらくダイワのクロスビートと言うシリーズの一番柔らかい

番手を使っていた。

それでも必要十分で、リールの性能もあって飛距離もそこそこ出せた。

しかし、まだまだ望むところまでの飛距離がだせず、

スピニングを使う釣り仲間との釣果の差は、埋まる気配すら感じなかった。

そこで見つけたのが、今は無きダイコーのバロウズと言う竿である。

1/8~1/2ozが使え、さらにスパイラルガイドを搭載していた。

今でこそ当たり前にあるが、当、1/8ozと表記されている

ベイトロッドはほとんどなく、やっと巡り合った1本だった。

そして、そう言う仕様に振った、本来の使用目的に適した竿の

性能に本当に驚いた。

飛距離は伸び、確実に思い描いていた釣りに1歩近づいた。

その後、ウエダのPro-4に出会い、数々の魚を連れてきてくれた。

 

その数年後、渓流ルアーを始める事になった。

僕としてはシンキングミノーの5gを投げるのは簡単で、

投げやすい部類の重さと重心だったが、

周りに障害物が多く、スイングの制限される中でのキャストの

下手さがモロに露呈された以外は、すんなり渓流に移行できたのは、

他ならぬカルカッタコンクエスト51Sのお陰であろう。

 

未だに1軍であるカルカッタコンクエスト51S。

僕にとって永遠の名機だという事は間違いない。

 

カルカッタコンクエスト1

もう10年以上僕の愛機であるカルカッタコンクエスト51S

当時あまり浸透していなかった、軽量ルアーをベイトで投げると言う

コンセプトの元にリリースされたリールである。

カルカッタコンクエスト50をベースに、シャロースプールを搭載し、

細糸の使用を前提とした、最大ドラグ力2.5kgと言うスペックに

胸が躍ったのを覚えている。

当時ダイワで、リベルトピクシーもあったし、

その後同じボディーでドラグがフェルトを使った、

プレッソなんて言うのもあったけど、見た目の存在感、

所有感みたいなものは、カルコンの方が上に感じた。

 

ピクシーもカルコンも従来のシリーズでは、

ターゲットがほぼバスだったのに対し、

トラウトもターゲットになっていた。

しかし、その当時の渓流トラウト事情は、フローティングミノー、

スプーン、スピナーと軽量のルアーばかりで、

管釣りに至っては、2g程度のスプーンをベイトで投げるには、

かなり難易度は高かった。

それに、リールは軽量ルアーに適した物があっても竿が無く、

魚を釣るレベルの距離に投げるには、かなり困難であったと思う。

近年のベイトフィネスブームは、リール本体の性能だけでなく、

竿やライン、釣り方など変化がうまくかみ合った結果ともいえるだろう。

 

僕がカルコンを手にした頃なので、もう10年以上前の話になる。

当時、軽量ルアーをベイトで投げるのに、躍起になっている人たちがいた。

まだSNSなんてなく、ブログがそのコミュニティになっていた。

その頃、一般的には軽い物をベイトを使って投げる事は無駄をされていた。

僕も当時、「スピニングの方が釣りやすい」、「なぜそんな事するのか?」、

「カッコつけているだけだ」なんて事を言われたことがあった。

その当時、僕はまだまだ釣りが下手で、いやそれはいまもだけど、

ベイト特有のトラブルで、魚を釣る事さえままならなかった。

なのでそんな事を言われたとしても仕方がなく、

ただそれが自分の1番やりたい事だという事に変わりなく、

それだけが原動力となっていた。

その頃、そんなニッチな世界で楽しむ人たちのブログを読んでは、

参考にしたり、同じ事を考えている人がいると、心の支えになったりした。

スプールを組み替えたり加工したり、オリジナルの竿を作ったり、

計算式を使って論理的に軽い物を飛ばすにはと考えている人もいた。

ラインにPEを使い始めたのもその頃だった。

そこには既成概念に捉われず、自由な発想な人たちがいた。

 

渓流ルアーで言えば、ヘビーシンキングが徐々に浸透していき、

ほどなくして、交換用のシャロースプールを発売するメーカーも現れ、

竿のメーカーからも少しずつ軽量ルアーを投げる為の竿が発売され、

大手2社は競ってベイトフィネスを押し上げて行った。

今や渓流でベイトを使っている人も良く見かけるようになった。

この10年で釣具もだいぶ進化したと思う。

 

まだ、カルコンの思い出が話きらないので、

次回は当時どんな釣りに使っていたなんて話をしたいと思います。

医療崩壊2

病院から帰宅すると、発熱した家族という事で、

カミさんと子供は会社と学校を休んでいた。

そして、僕の隔離が進められていた。

 

その日の夜、熱が上がり38℃後半まで上がり、

コロナかもしれない、と言う疑念が頭に浮かんだ。

 

明けて翌日、発熱外来を受診することにした。

町に2か所ある発熱外来を行っている病院、

その1つに予約をし、車で病院に向かった。

田舎なので車生活が、こんな時は助かる。

病院の裏手にある入り口に、発熱外来入り口の張り紙があった。

混んでいるのかと思ったが、意外にも数人の患者さんが廊下に

一定の間隔を開けた長椅子1つに1人ずつ腰かけていた。

テレビで見た事のある全身防護服に身を包んだ看護師さんに問診を受ける。

問診が終わり、待合の長椅子に腰掛けると、先ほどの看護師さんが

僕が触れたであろう椅子やテーブルを除菌していた。

それが両従事者だけでなく、一般にも当たり前になってきたとは言え、

感染リスクにさらされながら、尚笑顔で淡々と業務をこなす

医療従事者にただただ頭が上がらないだけでなく、

こんなことで受診する事への罪悪感みたいなものも感じていた。

 

順番が来て、診察室に通される。

繰り返しの問診を行い、喉の症状を見られた。

触診も聴診もなく、それはいつもの内科の診察とは違い、

いかにもあっさりしたものであった。

二、三質疑があり、医師は「PCR検査受けますか?」

心のどこかで、自分の為ではなく、家族や職場への安心材料の1つとして

受けておくべきなのだろうとは思っていた。

「発熱の場合、保険が適応になるし、安心にもなるし」と

勧められるがままにPCR検査を受けることにした。

 

順番までは車で待機と指示があり、携帯に準備ができたと着信が入る。

寒風吹き荒れる中、屋外に待機していた看護師さんの元へ向かい、

車に乗ったままPCR検査をうけた。

検査方法はインフルエンザの検査を受けた事のある人ならわかるだろうが、

柄の長い綿棒を鼻の奥まで入れ、鼻の奥の粘液に付着したウィルスを

採取して、検査機関で検査を行うというものだ。

結果は検体の数にもよるらしいが、早くて翌日でるそうだ。

僕の住んでいる地域は幸い感染者はそれほど多くない。

それでも第三波の時には、中2~3日結果が解るまでかかったそうだ。

この日、土曜日の受診だったので、日曜日も検査期間は動いていることに、

ただただ驚き、敬意を持たずにはいられなかった。

 

結果は翌日の朝に電話で連絡があった。

結果は陰性。

しかし、確率はそれほど高くなく、陽性と診断され、

陰性な事もあるし、その逆もまたある。

しかし、僕はこの2週間以上、バカ真面目に自粛を遂行してきたし、

通勤は車、接触があるとすれば会社の人か、たまに買い物へ行く

お店の店員さんぐらいなもので、かなり自信はあった。

今回の結果はそんな自信の裏付けとなったように思えた。

もちろん、その結果に慢心することなく、今まで以上に感染対策を

行っていきたいと思います。

 

しかし、実際のところ僕の病気が何だったのかは判明しないままだった。

問診や診断で、そこまで重篤な症状では無いと判断したので、

処方された薬剤で治癒するだろうとの判断だったのだろう。

現に熱は下がったのだが、問診だけでは見逃してしまうような症状も

あるのではないかと心配になってしまう。

コロナ前であっても、診断の間違いなどあったぐらいだし、

そんなところも不安になってしまう。

医療崩壊とはコロナ患者で、パンクするだけでなく、

適切な治療、助かるはずの命が助からない事の方が深刻だと言う人もいる。

日本の医療の進歩と共に、日本人の寿命は右肩上がりに伸びてきたが、

今後医療体制が崩壊していけば、未来は変わってしまうかもしれません。

今一度、今自分に出来る事を考えたいと思います。

 

医療崩壊1

まったくもって不徳の致すところだが、発熱で3日ほど寝込むことになってしまた。

このご時世、疑わしきはすぐにコロナと直結してしまう。

これは病床の中、感じた事を書き綴った記事です。

 

ある朝、日課の出社前検温で37.5℃と出てしまった。

一昨年ぐらいまでなら、市販の風邪薬と滋養強壮剤飲んで、

マスクしてそのまま出社していたのだが、昨今それが許されるはずもない。

僕の会社はかなり早い段階で、発熱時のガイドラインが決まっていて、

朝と、出社時の検温で37.3℃以下をパスしなければならない。

朝の検温で誤魔化しても、出社時の検温でばれてしまうのです。

嘘ついてまで仕事がしたいか?と言われれば微妙なところだが、

与えられた責務を全うするために、今やらなくてはいけないことが

今日だったりした場合、多少鯖読んで誤魔化してしまう事もあるだろう。

その辺が日本人の良い面でもあり、悪い面でもあるんだなぁと

最近は昨今の働き方改革の最中、よく思うのである。

 

話は戻って、念のためこの日は会社を休むことにした。

1月は結構ハードだったし、このくらいの熱なら1日で下がるだろうし、

出社してダルそうにしてたら何言われるかわからないし。

ちなみに会社の決まり事だと、発熱が1日だと会社のOKが出れば、

すぐに復帰でくるんだけど、2日以上発熱が続いた場合、

熱が下がった後3日空けてから復帰と決まっていた。

なので、とりあえずこの日は休んで、かかりつけ医に相談して

念のため受診することにした。

多くの人が同じ気持ちだろうが、万が一自分がコロナの感染元に

なってしまったら?なんて不安で、今までより慎重になってしまう。

本来正しい選択なんだろうけど、どうしても今まで生きてきた中で、

このような選択をしてこなかっただけに、わずらわしさが勝ってしまう。

なんだろう責任感みたいなものなのだろうか。

医療機関に関われば、なんとか自分の責任は逃れられると今思えば

そう言う考えが頭の中にあったのかもしれない。

 

かかりつけ医は近所の内科。

発熱があるのでどうしたら良いか電話できくと、

車で来るなら、駐車場に着いたら電話してくれとのことだった。

駐車場で車に乗ったままで受診するのはよく聞く話で、

驚きはしなかった。

看護師さんの問診の後、医師が診断してくれたが、

このコロナの中、設備の整わない小さな病院では、

発熱がある場合、風邪か風邪じゃないかの診断もできないとのことだった。

確かに、病院側も感染リスクもあるし、未だ多くが未知なウィルスなので

致し方ないとは思ったが、抗生物質と解熱、鎮痛剤、などを問診で処方してくれた。

翌日になっても発熱が続く場合、発熱外来を受診してくれとのことだった。

一瞬、もし現時点で僕がコロナに感染していたとして、

処方された薬でたまたま症状が緩和され、職場復帰してしまったとしたら・・・。

家族とは濃厚接触者になる事は止めようがなくとも、

何かとてつもない不安に襲われました。

もっと、問診によって発熱外来の案内をしてくれるとか、

こんな症状が出たら連絡してだとか、そう言う事があるものだと

勝手に思い込んでいた。

この病院は丁寧な問診を行ってくれる医師で、

今でも頼りにしている事は変わりないことだけは付け加えよう。

 

つづく

 

革細工

年末の話ですが、例年通り植木の剪定をやってました。

親父が亡くなり、代わりに始めた庭木の剪定も10年やっています。

最初は嫌々始めたのですが、今ではだいぶ板に付き、

なんとか庭木も形を留めています。

まぁ、今でも嫌々な部分はあるのですが、

以前よりは面白い要素が見えてきたような気がします。

 

剪定鋏は親父が使っていたもので、今でも手入れをして使っています。

それに付いていた革製のホルダーの糸の部分がほつれてきてしまいました。

一度ほつれると、その部分に鋏の先が引っ掛かり、

糸がどんどんほつれてきてしまいます。

一昨年辺りから気にはなっていたのですが、見てみぬふりをしながら

いよいよ鋏自体が落ちてしまうようになり、

ようやく重い腰をあげました。

まぁ、そんなに大したことではないのですが・・・

 

昔、仲間内で革細工が一時期はやって、パスケースや財布、

キーホルダー、ベルト、タバコケースなど、

色々作った事があります。

作品は当然のことながら素人レベルでしたが、

何かを作る、作る事ができる楽しさみたいなものは、

今思えばこの辺から生まれてきたのかもしれません。

革細工をやらなくなって、もう20年くらい経つでしょうか。

当時持っていた道具は知り合いに譲ってしまって、

さてどうやって修理しようかと考え、部屋をあさっていると

丁度良いころ合いの物を見つけました。

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赤い糸はランディングネットの網を編むクレモナの糸です。

太さも強度も丁度良く、何しろ余った糸の廃材利用なので、

持ってこいの材料です。

こんな時貧乏性、断捨離に不向きな性格で得する瞬間です。

古い糸を全て取り除いて、半分縫いました。

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今回はもともとあった縫い跡をただ縫うだけで、

大したことはないのですが、穴に対して糸が少々太かったので

ちょっと難儀しました。

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何はともあれ完成。

たまたま沢山残っていた糸が赤だったので、何も考えず使いましたが、

色は赤じゃない方がよかったなぁと言うのが反省点です。

なんだか久しぶりに革細工やってみようかなぁなんて、

気にさせた出来事でした。