毎日を明日なきものとして生きる

外遊びの楽しさを探すブログ

大人の夏休み その2

ようやく念願の夏ヤマメに出会う事ができて、

ほっと胸をなでおろし、渓相や濃い緑が空の青に映える、

遠くの山々を眺めながら水分補給をする。

釣りは常にイメージ通りではない物の、

渓相を装うその景色は、その時々で記憶に残るものである。

 

上流に向け進む中、目の前の崖から何かが降りてきた。

遠巻きだったが、色、形からイタチの類なのはわかった。

川を泳いで渡り、大石の上に飛び乗って、こちらを気にするように

僕の方を振り返っていた。

イタチからしてみれば、僕は『珍客』なことだろう。

生憎、俊敏な動きでカメラに捕えることはかなわず、

やがて石を起用に飛び移りながら、上流へと姿を消していった。

野鳥もそうだが、山で営む動植物との出会いも、

この釣りの楽しみなのである。

そう考えると、渓流釣りと言うカテゴリーの中で、

釣果と言うものは、ほんの1つに過ぎないのかとも思えてくる。

 

さて、釣の方はと言うと、1匹出た事で気が楽になったとはいえ、

反応の薄さは相変わらずであった。

この時期多くなるのがアブのような吸血虫や、

クロメマトイのような目の周りにまとわりつく虫に、

集中力を削がれながらも、上流へと突き進む。

背中に付かれたアブに気づかず、シャツの上からチクリと噛まれた時にはすでに遅し。

そう言うのも、僕は虫よけが効きにくく、吸血虫の類には良く好かれるのは

分かっているので、諦めている部分もある。

夏の渓はそんな覚悟も必要なのだと言い聞かすものの、

釣りをしない人には、理解されがたいことのようで、

家族は半ば呆れているようだ。

 

流れが緩く、浅いポイントを、

膝下まで浸かって打ちあがると、

気持ちは子供の頃の水遊びと同じである。

あの落ち込みの向こうに、あの渕の底に、

足に絡みつく冷たい川の水が、ワクワクを助長させる。

大岩の脇を滑らせるようにミノーを通す、

パンパンっとトゥイッチを入れると、

次の瞬間水中で何かがルアーをさらって行くのが見えた。

 

よし!

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ようやくたどり着いた2匹目。

こいつも小さいながらも、たくさん食べている健康優良児。

次はイワナが僕を出迎えてくれた。

 

これで俄然やる気になり、魚の反応も良くなってきた。

しかし、ついばむようなアタリやチェイス止まり。

掛けても、浅掛かりでバラシが続き、

それに虫に好かれて集中力も徐々に下がって行く。

しかし、そんな脱力が殺気を拭い去ったのか、

放ったルアーへ不意に反応があると、それはそれで驚くものだ。

そして上がってきた魚の尾を見てまた驚く。

 

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生まれ持ったものだろうか、尾が曲がっていた。

それであっても、生き抜くために必死で餌を捕る魚に、

なぜか申し訳なさを感じた。

写真を1枚撮らせてもらい、流れの緩いところで支えてあげながら、

リリースすると、すごい勢いで、元居た流れに返っていった。

ハンデを持っていたとしても、生き抜こうとする力強さを垣間見た気がした。

釣りと言う遊びは、方や命を懸けた戦いである。

そう言うことを、改めて思い知ったような気がした。

 

その後は再び反応が無くなり、魚影も見えなくなっていった。

午前中までと決めていたこの釣行も、残り時間あと僅か。

脱渓のポイントで、崖をよじ登り山道にでた。

ふと背中に手を回し、ランディングネットへ手に掛けようとした瞬間、

ランディングネットが手に触れない・・・。

最後に使ったポイントまで、川を下りながら、

ランディングネットを探すことにした。

背中にマグネットリリーサーでランディングネットを付けていると、

知らぬ間に枝に引っ掛けしまうことが良くある。

そんな事だろうと下りながら探すものの、見つかる気配もない。

何度か登ったり下ったりを繰り返し、時間も迫っていたし、

疲れも出て、アブに刺された痛みも出てきた。

思い出深いランディングネットではあったものの、

幸い僕はランディングネットを作る事が出来る。

まぁ、また作ればいいかと、渓を後にした。

また、作る切っ掛けをくれたと思って。