毎日を明日なきものとして生きる

外遊びの楽しさを探すブログ

温故知新

日進月歩に進化を続ける世の中で、

夢物語のような話が次々と現実のものになっていく。昨日できなかったものが、今日求めていた以上の物になることだって、

決して不思議ではないのである。

AIの学習機能は僕が想像するより遥かに優秀で、

詐欺に使われる日も近いと言われてるし。

車の自動運転は、寝ていても目的地まで連れて行ってくれる日が

だってそう遠い話ではないのではと思う。

近い将来車の運転が意味するものが、大きく変わっていく気がするが、

車を使って遠くに行くと言う目的は変わらないことだろう。

今や携帯の6割がスマホとなった今、急激な拡大を続けてきたSNSも、

近頃その成長も頭打ちになってきたとニュースは言っていた。

少子高齢化の問題もあるけど、必要以上の人との繋がりを敬遠する

若者も多くなってきているのではと言っていた。

確かに最初は自分の知らない世界や、普通に生活している上では、

出会うことのない人たちのと出会えることは凄いことだと思っていたが、

繋がりたくない人とも繋がってしまう事に、

わずらわしさを感じている人も少なくないのだろう。

ブラックバスは大繁殖し、在来種を食い尽くすとまで言われていたが、

ブラックバスも昔ほど釣れなくなった気がする。

自然界の摂理の中では、安定期みたいなものがあるのではと思う。

SNSや流行もそう、人工的なものだけど、それも自然の中で起こる

事だという事かもそれない。

だとするならば、車の自動運転機能が標準化したとしても、

運転を楽しむ風潮が再加熱することも十分あり得る話だ。

故きを温ねて新しきを知る。

そんな事を繰り返し、僕らは生きているのではないだろうか。

 

自分の好きな事を掘り下げるような事、

いわゆる趣味の世界では、その逆の現象があったりする。

物事の基準として、自分がいる。

そこを基準として物事がスタートすると、

それより前の出来事は、今いるの自分場所が上回り、

経験を積むことで今度は新しい事を受け入れれらなくなったりする。

自分本位の考えただけど、やはり基準は自分の中にあるのだから仕方のない事だ。

例えば釣りの世界でも、毎年のように釣り用品は進歩し続け、

今持っている道具より、来年の物の方が断然性能が良かったり

する事もある。

最初に出会った高性能な道具は、1つ自分の中の基準となる。

しかし、釣りは道具の性能だけではないと分かったり、

金銭的な面だったり、強いこだわりがあったりと、

高性能だけが全てないとわかると、そこでもう1つの基準ができる。

そうすると別に高性能な高価な道具でなくてもいいと、

その新たな基準で、今度は新しい物を見るようになると、

高性能の道具は「そんなものは不要」と否定に繋がる。

憧れが現実となり、さらに核心へと変わる中で、

僅かながら新しい物を受け入れられない、

疑心暗鬼的な感覚になる事がある。

全てが全て、こういった流れになるわけではないのだが、

自分の中にもそう言った部分は持ち合わせているように思う事がある。

しかし、自分自身もまた先駆者たちにそう思われてきた人間の

1人である可能性もあるのだ。

真剣に取り組むものは、往々にして自分自身が

話をややこしくしているものだ。

だから、何かを始める時は人との出会いが重要なのだ。

故きを温ねてることなく、新しきを知ろうとしない。

僕はそうなるまいと思うのである。

 

夏と呼べるのも残り僅か、暦の上では秋。

移り行く季節を前に、

新しい事を取り入れようと考えている。

今度の挑戦は、かなり覚悟のいる挑戦になりそうだ。

ただ、そんな事を考えてる今が楽しかったりするのである。

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