毎日を明日なきものとして生きる

外遊びの楽しさを探すブログ

改元 その2

山に挟まれ、切り立った深い渓が明るくなってきた。

ふと山の方を見上げると、頂上付近は朝日に照らされていた。

ようやく手のかじかみもマシになってきた。

川の上流から水面近くを滑空する野鳥が、

手前で僕に気づいたのか急上昇して、

大きく空めがけて遠く離れて行った。

今置かれている自然の中で、あまりにも小さい自分が、

大きく空に駆け上った野鳥の視線から見た自分のように、

僕は空を見上げる。

 

なんとなく、ルアーを変える。

何の根拠もない、あるのは数少ない過去の経験。

スナップを外したルアーを咥え、ルアーケースから

一つをつまみ、スナップでつないだ。

大きな岩に挟まれた流れは、轟々と音を立てて落ち込んでいく。

その落ち込んだ先はかなりの水深で、『いかにも』といったポイント。

期待感はあったが、過去に水深のあるプールのようなポイントは

あまり良い思い出が無いだけに、半信半疑でその場に対峙する。

少しずつ深いところまでルアーを入れる。

棚、リーリングのスピード、アクションの入れ方を

ルアーを見ながら意識して大事に流して行く。

数投したところでチェイスの影も見られない。

半信半疑になり、ルアーの交換も頭をよぎる。

最近は理論的な思考より、感覚的なことを大事に考えるようになった。

なので、数投しただけでもルアーチェンジすることも少なくない。

しかし、その雑念を振り払い、再び核心のポイントに

キャストを落としていく。

 

白泡をたてて落ち込む流れ、そこにダイブさせるようにルアーを操作する。

リーリングスピードをトップギアに入れ、

アクションを流れの変わる目まで我慢する。

今度は激しくない弱々しいトゥイッチ、

その直後何か固く、大きなものにぶつかった感触が竿を介して伝わってきた。

リメイクした竿で初めて伝わった感覚。

それが魚なのか確信する間もなく、ドラグが滑り出る。

魚を掛けたらどんな感触なんだろう。

この竿をリメイクしている時、常に考えていたことが、

ようやく現実のものとなり、その感触を感じる余裕があった。

竿の曲がりは懸念していたガイドセッティングも、気になる事はなかった。

机上の理論ではなく、フィーリングだと教えてくれた友人の言葉を思い出す。

しかし、竿の先についているその魚の大きさを

竿の曲がりから読み取るには、少々竿との時間が足りず、

ささ濁りの水の中からギラリと映し出されたシルエットに、

心臓を鷲掴みにされたかのような緊張が走った。

 

これはやばい。

 

そう思わせるには十分であった。

呼吸が早くなり、目の前の視界はぼんやりと霞みがかる。

何度反転し、何度突っ込まれただろう。

魚の勢いが鈍くなったところを見逃さず、

背中に手を回し、この時の為に製作した竹ランディングネットに手を掛ける。

足元に寄ってきて、魚の全貌が明らかになった時、

背筋がぞくっとした記憶が残っている。

逃がしたくない。

そんな気持ちは浅瀬に寄ってきた魚を、

水の中まで駆け込んでランディングネットに滑り込ませた。

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その魚をランディングネットに入れ、写真撮影ができる浅瀬まで移動する。

ネットごと横たわらせたその魚体をまじまじと見て、

感動とは程遠い感覚がみぞおち辺りをぎゅっとさせた。

ジャケットの胸ポケットから取り出そうとしたスマホを持つ手が

小刻みに震えているのに気付いて、笑いがこみ上げた。


やった、やったぞ。


今シーズンの初魚、リメイクしたロッドとランディングネット、

おろしたてのルアーの入魂。

それがこの魚であったなんて、出来過ぎな話なのだ。

記憶に残る魚は、単に魚とだけの出会いではない。

この日、この時の為に準備したものが、

ようやく花開き、大きな感動を与えてくれる。

準備したものだって、この日を思い描いて、

時間を使い、友人の助けを借り、

たどり着いたこのプロセスが、感動のスパイスになるのだ。

 

報われたその瞬間、これが全ての原動力になる。

 

つづく