毎日を明日なきものとして生きる

外遊びの楽しさを探すブログ

真夏の防波堤

最近は酷暑もなりをひそめ、

なんとか耐えられるほどの残暑へ移り変わったようだ。

朝晩は比較的過ごしやすく、夏の疲れが出てくる時期には

大変有難い。

そんな中、9月も末と言うのにまだ

真夏の思い出を綴っているのに、

若干の違和感を覚えるものの、

少しずつ新しい話題をストックしようと、

せこい作戦が見え隠れしている。

その辺は万年ネタ不足を少しでも解消できる機会なので、

なりふりかまってはいられないともろである。

 

夏は海水浴や山登りなど、魅力的なアクティビティが

顔を連ねる中、これも欠かせないよ、と言うのが

海の防波堤釣りである。

子供とお義父さんを連れて、家で昼食を済ませ

近くの海に向かう。

子供たちは天秤で竿を出し、僕は子供の世話をしつつ、

釣れそうな魚を狙うつもりで、子供の仕掛けを作り、

防波堤をウロウロと散歩する。

 

太陽が頭の上からジリジリと突き刺さり、

魚からの反応がないと、延々と長く感じるほどである。

退屈そうな子供とお義父さん、会話の内容は釣りの話から

世間話や今日の夕飯の話しになり、

その内無言の時間が流れていく。

昼寝するにもこの暑さでは、それすらままならない。

釣れない時はこんなもんである。

 

さらに防波堤をウロウロしていると、ちょっと沖に魚が群れていた。

恐らく形や色からして、クロダイのようだ。

ホッパーでも持ってくれば良かったなぁと

言っても始まらないし、とりあえずバイブレーションを

投げてみるがなんの反応もなし、ワームで底を通してもダメ。

あきらめて、竿を持ちかえ足元にフグに紛れて見えている

メバルに相手をしてもらうことにする。

試行錯誤、フグの猛攻を掻い潜り、メバルが釣れた。

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すると向こうの方でなにやら僕を呼んでいる。

よく見ると竿が曲がっているではないか。

炎天下の防波堤を50mほどダッシュで駆け寄ると、

子供が赤い顔をしながら、鼻を膨らませて、

リールをなかなか巻き取る事ができず、

必死に耐えていた。

大人2人はそれを見て、今だ!巻けとか、耐えろとか、

こっちがヒートアップしていた。

もう少しで姿が見えそうだ、そのくらいまでリールが

巻き取れた頃、何度目かの突進が足元の防波堤のエグレに向けられた。

子供はすでに疲れはてていて、最後の突っ込みを

止めることができず、竿は満月に弧を描いたまま、

ドラグをずるずると出され、無情にも竿は

元のまっすぐな状態に戻っていた。

肩を落とし、残念がる子供。

釣人であれば大体の人が通っているであろう、

その苦い出来事を、まだ飲み込めず

葛藤の中にいるかのようだった。

大人からの慰めの言葉も届かない落ち込みぶりをみていると、

不意に子供の口から、「切れちゃったってことは、

逃げた魚に針が付いたままだよね?」

その言葉にハッとする。

釣れなかったことの悔しさの方が、何倍も大きいとは思うが、

魚の事も考えられるのかと、親でありながら

新しい発見があり、少々驚かされた出来事でした。

 

その後、色々な釣にまつわる話しを子供とした。

解っているのか解っていないのかは、僕も解らないが、

子供の頃の記憶に残ってくれれば良い。

 

後日、再び同じ堤防に訪れると、

良いタイミングで手のひらほどの真鯛の群れに

当たったようで、時間にしてみいれば僅かだが、

飽きない程度に釣れてくれて、楽しむことができたようだ。

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釣りの技術とかではなく、もっと大事な何かを

今回の釣りで子供も僕も、学んだような気がしました。

「また、釣りしようね」

いつまで一緒に釣りについてきてくれるか解らないが、

次こそあの魚が釣れるといいなと言ってあげました。