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外遊びの楽しさを探すブログ

ボランティア

僕が住む地域でも大きな被害をもたらした台風19号

何かできないかと、ネットでボランティアの募集を見ていた。

東北大震災でクローズアップされた、一般の災害ボランティア。

その昔は自己責任の元、本当に熟知した人だったり、

何かの団体に属する人だったりと、かなり専門的な要素が

あったように思える。

今はネットの普及もあり、一般の人でも心得的な物は学べるし、

災害地からのボランティアの要求や、災害地の行政の

ボランティアを受け入れる体制が整ってきたようだ。

まだまだ足りない部分があるにせよ、

力を必要とする人と、何かに協力したい人とを、

結びつける仕組みも、徐々に構築出来ているように思えた。

 

台風災害の後、地元の被害のあった自治体のホームページや、

SNS等でボランティアの募集があったが、

恐らく早い段階では行政の受け入れ態勢が整っていなかったのだろう、

一般の市外、県外からの募集は受け付けていなかったり、

物資のみの受付だけのところもあった。

この時点では県外のボランティアは見ていなかったので、

なんとも言えないが、災害の大きさでも行政(業者)で、

片付けられる範囲のところもあったのかもしれない。

後は火事場泥棒などの犯罪が起こる可能性も十分ある。

そんな事をしていたら、地元の公募はなくなっていた。

 

以前から馴染みがあり、よく遊びにも出かけた長野。

台風前にもキャンプへ出かけた、友人も何人か住んでいる。

そんな長野にボランティアに行こうと思った。

 

長野南運動公園が駐車場になっていて、

指定の時間内に受付を済ませると、

観光バスも災害協力をしているようで、

何台ものバスが停車していた。

5人1グループになってバスに乗る。

今回僕が向かったのは、一番被害の大きかった

穂保地区というところだ。

ニュースで何度も耳にした地区。

僕も何度もこの近くを通った事がある。

しかし、僕の記憶にあるその景色とは全く違っていた。

幾つかのグループにまとまり、被害のあった個人宅の片付けを

割り当てられた。

 

なんとも言い難いその光景。

被害から二週間ほど経ち、住宅地の道路は泥まみれではあったが、

アスファルトが見え、車も走れるほどになっていたが、

空地だろうか、それとも畑だったのだろうか、

住宅から運ばれた被災ゴミが山積みになり、

二週間経ってもここまでにしかなっていないのかと、

その被害の大きさを伺わせた。

 

「やっと倉庫に手が付けられるようになった」

そう語った家主が、今日の僕たちのボランティア先。

倉庫の中には、自宅から避難させた家裁道具でいっぱいになっていた。

倉庫の中は元より、倉庫に入れられたほとんどの物が、

泥まみれであった。

倉庫の中の物を外に出し、まずは倉庫の中の掃除を始める。

倉庫の裏にはまだまだ泥が堆積し、その泥を所定の場所まで運ぶ。

「ちょっと休憩しましょう」

そう言って持参した飲み物を飲みながら、

家主も交え、秋晴れの元世間話が誰からともなく始まった。

どこから来たのかとか他愛もない話から、

自然と被害の話になる。

ボランティアの受付の脇に、ボランティアとは・・・という

張り紙がしてあったのを思い出す。

被災者の方々に寄り添う、時に手を休め、

話をするのもボランティアであるという内容だった。

この日まで、いやこれからしばらくは辛い日々を

送らなければいけないだろう。

辛いはずであっても、どこか諦めの境地だろうか、

被害の状況や台風直撃の日の事を、深刻ではない口調で話してくれる。

いや、ボランティアの僕たちに、気を使ってくれたのかもしれない。

どちらが生かされているのかと、ふと考えた。

 

初めて災害ボランティアをした。

地域や学校のボランティアとは違い、

災害ボランティアは自ら志願し、

誰かの助けになりたいと言う気持ちから、

行動にでるもので、強制や仕事とは違う気がする。

この日延べ二千人以上のボランティアが、

長野市周辺の被災地に来たらしい。

僕が作業に当たったこの地域も、

周囲には多くのボランティアの人がいた。

見る限り、サボっている人などおらず、

それどころか自ら仕事を探し、一生懸命働いている。

誰かの為に働いていた。

その心が僅かでも自分の仕事にも繋げられれば、

何か大きく変わるのだろうなんて事を考えてた。

 

ボランティアは強制ではなく、やれる人がやればいい。

日常が送れる人は日常を送ればいい。

被災者への支援の形も色々ある。

偽善者ぶるわけでもなく、自分をよく見せようなんて気持ちもない。

ただ、誰かの為に、誰かの事を考えて、

自分が出来ることの素晴らしさを、

1人でも多くの人が感じてくれば、

平和な世の中になるのではないだろうか。

 

その日の作業が終わり、バズの車窓から見た景色。

被害の大きかった地域から数キロ走った地域は、

殆ど被害もなく、普通の暮らしに戻っていた。

その光景になぜだか胸を締め付ける。

その境界線は誰も知る由もなく、それは突然訪れる。

それを改めて思い知らされた。

 

お手伝いに行った家主夫婦より、

「ありがとう」の言葉で、心のどこかにあった

後ろめたさのようなものが、取り除かれたように思えた。

僕の方こそ感謝しかないと思える体験でした。