毎日を明日なきものとして生きる

外遊びの楽しさを探すブログ

初夏の匂い

前回からの続きです。

 

朝焼けの空はすでに青空となり、より一層生き物の気配が強くなってきた。

ウシガエルの鳴き声、コイが朝の回遊に出て、かなり沖なのに

サギが池の中に突っ立っている。

何とも言えぬ生命感に、懐かしい高揚感が胸をすく。

その胸の高鳴りを抑え込み、水面を覆った水生植物を注視しながら

水辺をゆっくり探索していく。

怪しいところは一応探って行くが、なるべくなら無駄打ちしたくない

と言う気持ちで、振りかぶってキャストを止めた。

少し離れたところで、友人が丁寧にサソイを掛けている姿がみえた。

こんな遠くから友人の釣りを眺めるのも、久しぶりな事である。

昔から変わらない、一緒に行った時は友人の釣りが気になるのだ。

それは相手が釣れた釣れないでも、ライバル視でも、抜け駆けでもなく、

単純に友人の釣りが好きなのだ。

 

この日は真夏かと思わせるような日差しで、ポイントを移動するたびに

汗が噴き出てくる。

対岸の方まで回り込み、他のポイントを広く探ることにした。

葦の隙間で1人が立てるポイントが点在する場所で、

友人と順番に先行を入れ替わりながら探索を進めて行った。

 

いくつ目かのポイントで、足元の水生植物の間を行き来する、

20cm程度の雷魚の姿があたった。

それだけでも興奮する。

育ち盛りのヤツは観察だけにとどめておいて、

その向こうの葦を狙い撃つ。

何投目かの回収の時、友人が向こうから歩いてくるのが見えた。

向こうの方で、今しがた良いサイズをバラしたとのことだ。

自分でなくても、魚の反応があっただけで嬉しくなる。

聞けば足元の葦まで寄せてきたのだが、もう一歩のところで

葦に巻かれ、最後は入水までしたのだが取り逃がしてしまったそうな。

そんな話も励みになるし、やっぱり誰かと一緒に釣りをするのは、

感情の共有できるところが、良いところなのだと思う。

 

友人に魚の反応があって、小型の雷魚も目撃した。

僕は何の反応もないけど、集中力は途切れず、

次のポイント、次のポイントと貪欲に1尾を追い求めて行った。

朝に見た対岸のところまでやってくると、水門から水路が続いていた。

その時は何気なく探索していたのだけど、本当はこう言うところが

ポイントなんだと後に気づくことになった。

 

日は高くなり、反応の薄さ、魚影の少なさから大きく移動をすることになった。

 

つづく