毎日を明日なきものとして生きる

外遊びの楽しさを探すブログ

感染症予防

我慢の連休となって2年目。

第4波で感染者が伸びている中でのGW。

昨年と何が変わったかと言えば、我々の意識ではないだろうか。

それは僕も同じことで、我慢の中でのストレス、

この生活に慣れてしまったのは決して否めない。

 

4月の末に学生時代の友人の転勤するにあたって、

送別会をやろうと2か月前ぐらいから計画していた。

計画したころは感染者数も減少していたし、

僕らの地域では飲食店の時短要請も出ていなかったが、

なんとなく気が乗らなかった自分がいた。

他の友人がLineのグループの中で盛り上がる友人たちに

水を差すようなことはその時言えなかった。

4月下旬になって、感染者が増え、結局送別会の中止を申し出たのだが、

その時も、輪を乱すんじゃないか?とか思って、

なかなか中止しようと言い出せなかった。

 

インフルエンザと同じ、インフルエンザより死亡率は低い。

そんな風邪の延長のようなことぐらいの事を気にするなんて、

ビビッてんじゃねーよ、とか思っている人も多い。

僕もこの考え方には半分は理解できる。

自分自身、明日死んだとしても別に後悔することもない。

しかし、自分以外の人に迷惑を掛けたくないと言う気持ちが、

もう半分の僕の意思を踏み留めていると思う。

 

未だ謎が多いコロナウィルスなだけに、

その理論は当てはまらない部分が多く、

それは現実から目を逸らすための、都合の良い解釈である。

それにこの自粛生活の中、人付き合いの考え方がだいぶ変化した。

年齢を重ねるにつれ、プライベートにおける上辺だけの付き合いを、

排除したいと言う気持ちが大きくなったような気がする。

だから、理由があって約束を断ることで、

とやかく言うような友人は、自分の友人にはいないと思いたい。

自分のわがままであればつゆ知れず、

この状況下では「よく言ってくれた」と理解してくれると思うのだ。

もちろん、友人に会いたくないわけではなく、

友人やその友人が大切にする人、自分の家族、会社の人、

その先には無限の繋がりがあって、その人達の生活を脅かすと思うと、

後悔しない行動ができるか自信がない事は辞めるべきであると思うのだ。

その事を改めて考え直すことが多くなった。

決して、飲食や飲酒が悪ではなく、それらが感染リスクを

高くする行動である事から、懸念されているのである。

もう一度、自分の行動を見直す良い機会ではないだろうか。

 

2019年長野県を襲った台風19号

災害ボランティアに行った時、他のボランティア、地域の住民、

仕事で災害復旧を行っている人に「ありがとう」と言う言葉を掛けられ、

僕も自然と「ありがとう」と発していた。

このコロナ禍もある種自然災害である。

しかし、最初は自然災害あっても、ある地点から人為的な災害と

移り変わっている。

医療のひっ迫、経済的不安、精神的苦痛。

それらは災害に当てはまる。

災害は一人の努力では何にもできず、より多くの協力が必要だ。

このコロナ禍でも「ありがとう」と言い合える行動が、

今の世の中必要で、「ありがとう」と感謝される行動が

必要なのではないでしょうか。

 

僕の友人もありがとうとは言わなかったが、

当分の間会う事は出来ないにも拘らず、

「しゃーないな」と理解してくれた。

この判断が正しいかは正解が出ることはないが、

残念な気持ちはあれど、少なくとも間違いであったと

後悔することはないと思える。