師走の慌ただしい街に、クリスマスのイルミネーションが彩る。
ようやく12月らしい芯から冷え込むような気温、
こたつにもぐり、今年1年をちびちびと晩酌をしながら、
パソコンに向かう夜。
どんな事を書こうかと、走馬灯のように流れる思い出が、
写真を1枚1枚めくる度にあふれ出す。
2018年も後2週間、来年には慣れ親しんだ平成も終わり、
新たな時代が幕を開ける。
そんな感傷に浸りながら、あふれ出す思い出を
ポツリポツリとキーを叩いていく。
今年の開幕戦は毎年恒例の本流から始まった。
今年は2年ぶりとなる友人との釣行となった。
いや、友人と呼ぶにはおこがましく、
僕としては何かを学ぶ気で挑んだこの釣行。
解禁直後にありがちな少しの気候のずれで、
魚との対面とはならなかったが、
この後の今年1年、今まで引き出せなかった魚との出会いと、
マンネリし掛けていた自分の中の釣りに、
改革ともいうべき大きな影響を与えることになるとは、
この時思うはずもなかった。
春の遠征、当たり前のようにいつもの川へ乗り込む。
カレンダーの並びが悪く、連休をのんびり過ごし、
存分に春の渓を満喫とはいかなかったが、
半日と言う僅かな時間で、十分すぎる魚との出会いがあった。
いつか行こう、そう言われて何年たったのだろう。
期待半分、その日を忘れていたわけでは無いが、
その不確定な約束が実現するとは思わなかったと言えば、
失礼な話だったことだろう。
友人と交わされた数年越しの約束を果たすため、
山深い渓谷を目指し、山道を歩いた。
透明度の高い水に、緑がかった背中のイワナがお目見えした。
なんだろう、今まで味わったことのない感動。
この時間が友人と共に過ごせたのも、そんな感覚にさせたのかもしれない。
河原で湯を沸かし、カップラーメンをすする。
渓流を始めた頃、魚を釣るのに躍起になっていた。
そのやる気とは裏腹に、魚と会えない日が続いた。
そんな折に雑誌で見た、河原でコーヒーを淹れ語らう大人たちの記事。
いつかそんな心の『余裕』みたいなものに強く憧れたのを覚えている。
そんな濃密な時間の過ごし方、今そんな時間が僕の周りに流れているのかと、
友人との他愛のない会話でふと思えることができた。
こういった面でも、何年か越しに憧れた何かにたどり着けた気がした。
夏には子供とキャンプで釣り。
僕自身も数年ぶりのバス釣りで、なにか新鮮な感覚に包まれる。
真夏の炎天下、しかも厳しい湖で、魚を釣ることは叶わなかったけど、
子供とこんな時間が過ごせることが何より楽しい思い出である。
それでは続きは後半へ。