毎日を明日なきものとして生きる

外遊びの楽しさを探すブログ

便乗

今週も令和6年能登半島地震にまつわる記事です。

不快に思う方は、スルーしてください。

 

先週、能登半島地震での支援の話をしましたが、以前、ネットや現地で起こる便乗の話を取り上げたいと思います。

 

まずは、火事場泥棒の話。

ラッパーで有名な呂布カルマがXにツイートしたことで、ネットニュースにもなっていました「火事場泥棒は殺してもいい」。言葉は乱暴だし、著名人が発するには反感を買う部分もあるかと思いますが、僕もそう思います。ただし、僕は「火事場泥棒は死ね」とか「火事場泥棒は死んでもいい」と言う感が強いです。例えば、「火事場泥棒は死刑」とか。僕はそのくらいのことをやっていると思います。犯罪者の人権を持ち上げる人もいますけど、被害者にも人権はあるわけで、どちらかに偏った思想を持つのは危険なこともありますけど、僕は火事場泥棒はもはや人間である意味も無いと思うのです。こういうのは私的裁判ではなく、心情に沿った感情であると思いますけどね。

 

次に、ネット詐欺。

募金や基金を語るネット詐欺が出ているようです。これは近年話題になっているサイバー犯罪の一部で、やり口は同じ。弱り目に便乗してお金を騙し取るという点では、人の不安、良心に便乗するには犯罪者にとって、うってつけのネタだと言うことでしょう。

騙される方が悪い、なんてことを言う人も居るでしょうが、人間としてどうなんだろうって思います。

 

皆さんも自分の気持ちが弱っている時こそ、便乗されやすくなると思いますので、十分お気をつけください。

災害に見る支援の形

令和6年能登半島地震

平穏で穏やであるはずであった日常を、一瞬にして壊された。

思い出したのは東日本大震災新潟県中越地震阪神淡路大震災

緊急地震速報に呼吸は早くなり、頭は真っ白になった。

幸い僕の地域は少しの揺れで収まったものの、僕に繋がりが強い新潟、富山、長野は強い揺れがあったとのことだ。

特に震源の石川県は地震発生が夕刻だったことから、被害の全貌は翌日になって明らかになり、それは阪神淡路大震災の記憶と重なった。

亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

それと共に僕ができることを考えていました。

 

ネット、SNSの普及と共に、情報の拡散は著しく、そのスピードは東日本大震災の時を遥かに凌ぐと僕は思っていた。それらは通信の進化はもとより、過去の経験が活かされていた。例えば安否の確認、被災地からのダイレクトな声。状況把握と共にどんな支援が必要なのかも情報として収集でき、非被災者はその声に沿った支援ができるようになったのは大きなことだと思う。実際には今日現在も隅々まで支援が十分では無いにせよ、スピード感は格段に上がっている実感がある。これら全ては過去の経験がそうさせているのだろう。

 

今、僕には何ができるだろう。

東日本大震災の時は、毎日そればかりを考えていたような記憶がある。

しかし、自分のできることなど殆どないことに気づき、自分の無力さに打ちひしがれる毎日を送っていた。そんな気持ちになることは意味のないことだと気づいたのは、報道で災害のことを扱う時間が少なくなってきてからのだったように思う。あの当時、ネットは色んな憶測や、罵詈雑言に溢れていた。憶測で人を傷つけて、当事者でない人が当事者の代弁をするかのように雄弁に語っていた。僕も少しでも情報を収集できればと、ネットを毎日見ていたが、やがて自分が傍観者になって、何もしていないことに気づいた。

 

今、自分にできることをやろう。

 

災害ボランティアなんて僕には難しい。家族も居るし、仕事だってある。こんな僕でも仕事に穴を開けてしまっては、他の多くの人に迷惑が掛かることは明白。そうなれば被災者の気持ちを汲んで自粛すべきか。否、そうでも無い気がする。例えば、旅行に行くことを自粛するとしよう。しかし、旅行先に予定していた地の収益はなくなる。売上がなくなれば、その産業を支えている人たちに影響があり、国民を支えている税金にまで影響を及ぼす可能性も秘めている。ちょっと大げさに聞こえるかもしれないが、それが現実であると思うのである。

では、今僕たちができることとはなんだろう。

それは、それぞれ違うのではないだろうか。

現地で直接支援するだけが支援ではないと思う。

例えば支援金はネットでできる。ネットで買い物する感覚で寄付ができる。

金額は関係ないと思う、要はその気持ちが大切なのだ。

最近、物価の高騰で自分の生活もままならない、なんて人も多いだろう。自分がやりたいことを我慢し、生活水準を維持するのも困難だと言う人も居るだろう。そんな人は無理に支援を考えなくて良いと思う。それは今の自分にできることを、できる範囲でやるのが支援の本質だと僕は考えている。しかし、相手の為を思い、少しの我慢と引き換えに、何かを何かの形で助けてあげられる人こそ、僕は最高にかっこいい人だと思います。半分この精神、人に分け与えることができる人こそ、本当の優しさを持った人ではないでしょうか。

寄付は難しくても、被災地の産地の食料や、産物、商品を購入するのも、支援の1つだと思います。

 

支援は一過性のものではなく、被災者が日常を取り戻すまで、継続していくべきです。長い目で見た支援の形を皆さんも考えてみてはいかがでしょうか。

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月並みですが

新年あけましておめでとうございます。今年も当ブロブ共々、よろしくお願いいたします。

今年一発目は元旦の更新です。調べて見たら元旦の更新は2018年の元旦。奇特な読者の方々ならお気づきだと思いますが、基本的に毎週月曜日に更新なので元旦更新なのは6年ぶりです。それがどうしたと言った声も聞声も聞こえそうですが、なんとなくプチ嬉しいことみたいな感じです。

 

そんな感じで今年もゆるゆるやっていきたいと思います。

 

年の瀬

なんだかんだで、2023年も残すところ1週間。毎年のことですが、この時期はなんだか忙しい。と、言うより忙しないと言ったほうが的確な表現であろう。植木の剪定がやっと終わって一息つくまもなく、大掃除とか新年の準備とか、毎年のことだけどなんだか

疲れ果てるのが毎年恒例です。恐らく多くの人は忙しない年末をお送りのことと思いますが、体調には気をつけて新年を迎えられることをお祈りしております。

 

そんなわけで、2023年最後の更新となりました。今年も1年読んで頂いた方には大変感謝いたします。新年には新たな変化を!とも思いますが、僕の目標は多くを望まず、現状維持で行ければと思います。

 

それでは今年も1年、お付き合いいただきありがとうございました。

来年もよろしくお願い致します。

皆様には穏やかな年末年始が迎えられますように、お祈り申し上げます。

2023年を振り返る記事

コロナの行動制限が解除になり、スーパーで買い物する時であっても、人の流れが忘れかけてきた『日常』を取り戻して来たように思えた2023年という年。世界的にみれば、戦争や異常気象、物価の高騰、輸出入の制限、国際情勢の不安など、まだまだみんなが安心できる『日常』とはかけ離れている。そんな中、明らかに昨年とは違う部分をこの記事を頭の中で整理している中で思ったことがある。それは自分の気持ちの変化であるような気がした。やはり、行動制限と言う拘束がある生活を約2年続けてきた事による見えないストレスの影響は、自分が感じるより大きいものだったのかと今になってはそう思うことも少なくはない。そして、それは多くの人が同じ様にそう思っていたことだろう。周囲の表情の変化も自分の気持の変化に繋がっているような気がする。数年マスクに隠された人々の表情が見えるようになったのも、大きな要因ではないかと思っている。

前置きが長くなりましたが、そんな大きな変化をもたらした2023年を振り返って見たいと思います。

 

行動制限が徐々に緩和の方向に向かっているのを感じた春先。そんな雰囲気を察した友人からショアジギングのお誘いがあった。今年になって購入した僕のニュータックルの初卸に誘ってくれたという理由もあるだろう。ニュータックルのデビュー戦に花を飾ることはできなかったけど、友人にキャストのコツをレクチャーされたり、動画を撮ったり、初釣りとしては楽しい釣行となりました。

 

 

毎年恒例の春の遠征、今年は川の方は雨による増水などで思うような釣りができなかったけど、それでも期待は裏切らないのがこの地の川である。今年も美しい魚がお迎えしてくれた。

 

 

今年は海が良かった。ライトゲームは安定の釣果。ライトタックルに思わぬ大物が掛かり、早朝の防波堤はてんやわんや。ピックアップの時にバラしてしまったイナダは念願の新調したショアジギングロッドの入魂となった。

 

梅雨前には友人と思い出の川へ。以前入ったポイントではなく、友人が開拓してくれたポイントに案内してもらった。相変わらずこの川は何か大きな期待感のある。友人と仲良く良い釣果で、良い疲労感に包まれた釣行でした。

 

初夏にはキス釣りに行きました。キスを釣った経験がない友人とキス釣りへ。キスだけをターゲットにした釣行は久しぶり。時期的なものと、天候に恵まれず、僕はフグのみだったが、友人は1尾のみだったけどお目当てのキスが釣れた。何にしても釣人にとって初魚は特別であるとお思います。そんな瞬間に立ち会えたことが嬉しい釣行でした。

 

 

夏本番、またしても友人の初めてシリーズ、キジハタを狙いに海へ。残念ながら友人に初魚とはいきませんでしたが、久しぶりのベイトタックル、ワームの釣りを友人とやれました。昔、一緒にバスで夢中になった友人でもあるので、そんな部分でも楽しい釣行でした。この釣行の数日後、友人は単独で再びチャレンジし、見事キジハタを釣り上げ、初魚を手に入れることができました。

 

 

夏の遠征は台風にヒヤヒヤしながらもなんとか遂行することができた。しかし、釣りの部分ではなかなか良い釣りはできなかったけど、真夏は毎年あまり良い釣果には結びつかないことが多いのもこの時期ならでは。そんな中でも元気いっぱいな渓魚に出会えたのは嬉しい事です。

 

 

秋には友人とアオリイカと青物狙いに海へ繰り出した。ポイントの開拓からはじめて、釣果に繋がらない釣行を2度行ったけど、期待の1尾に辿り着けなかった。今年はハズレの年だったのかもしれないけど、経験の少ない僕らにはそのことを知る由もなく、ただ来年への作戦を帰路の車内で立てるのはいつものことである。

 

 

何年かぶりにこんなに釣りに行った。色んなことに挑戦したし、1年の中でこんなにも海に来たのは僕の人生でも稀である。しかも、友人とこんなにも一緒に釣りができたのが今年1番の収穫でした。それもこれも、コロナ禍からの脱却が大きな影響を及ぼしているのだと思いました。

 

来年は今年以上に色んな釣りをやって行ければと思っています。

久々に楽しい1年でした。

りんご

長野の友人からりんごが送られてきました。

箱の中には何種類かの品種が入っていて、よく聞く品種から、全く初めて聞く品種まで、その見た目や袋を開けたときの香りまで、並べられるとりんごの個性がよくわかります。

あいかの香り

さんフジ

シナノスイート

シナノゴールド

これがお店で並んでいても、僕の場合は手堅い知っている物を買ってしまうだろうなと思います。そんな僕にとって友人の贈り物は僕の世界を広げてくれます。友人の勧めであれば僕も躊躇することなく、次回お店で見た時に手に取ることはができそうです。

そんな『粋』な贈り物を家族で味わう晩秋の出来事でした。

スーパーパルサーネオ

たまたま良い出物があって、中古で竿を仕入れました。

ウエダ スーパーパルサーネオ NSS-50UL/C

某釣具屋店主の影響をモロに受け、そしてこの昭和レトロな風合いに惹かれ、自分が所有する渓流ロッドのお気に入り第一位に君臨するウエダの竿と同じシリーズという事で以前から探していたところ、ようやく手に入れることができました。

コミが多少ゆるいぐらいで、この年代のものにしては美品の部類だと思います。昔は第一線でバリバリ魚と戯れていたのかと思うと感慨深いですね。

よく、中古の竿には手を出さない方が良いなんて言われました。確かに竿は新品で買った時が一番いい状態で、そこからだんだんと性能は落ちて(劣化して)行くものだと思います。使っている本人でも、徐々にその性能が落ちて行くことに気づかないほど、微妙な違いではあると思いますが、リールとかと違いメンテができないという所から使い込んだものは危険であるのは事実です。前のオーナーがどんな使い方をしているかわからないですしね。その部分で言えば、車のタイヤと同じであると思います。そう考えると『消耗品』なのかとも思えてきます。

でも、それらを全部ひっくるめても、覚悟を持って手に入れたい物ってあるわけで、そういう面ではタイヤとは違う『消耗品』では無い一面もあると言う不思議なジャンルだと思いました。

当面使う予定は無いですが、手に入る時じゃないと手に入れられないものなので、未来への投資でもあると思います。その時が来るまで楽しみが増えた感じです。