毎日を明日なきものとして生きる

外遊びの楽しさを探すブログ

今年最初で最後

夏休みはいつもドキドキとワクワクに包まれた、

期待に満ちたものだと、子供の頃からずっと思っていた。

どこへ行こう、何をしよう。

いつもの場所だったり、見た事もない景色だったり、

そんな事が当たり前にあるのだと、疑う事すら今まではなかった。

コロナが世界を一変させてから2度目の夏がやってこようとしていた。

 

昨年から渓流の釣りは僅か2度ほど。

今年は釣りに行きたいという気持ちにもなれず、

気付けば禁漁まで2か月を切ったというのに、

未だ竿すら握っていない。

野外で、しかも殆ど一人、人と行き交う事もなく、

そんな状態であれば感染対策が十分といえるだろうが、

現代の環境を考えると、色んな感情の中、足が進まずにいた。

毎年恒例にしていた思い出の場所にも、

行くかどうかはぎりぎりまで決断できずにいた。

コロナ慣れと巷ではいうが、こんな決断の迷いも

もう慣れてしまって、最近じゃ決断をするのに

ジレンマや締め付けられる気持ちも、希薄になり

どこか事務的に考えるようになってしまった。

色んなところに確認を取り、人との接触を極限まで減らし、

考えられる対策を取り、完全な安心を得られないまま、

念願叶って夏の帰省が現実となった。

 

天候などを考慮して、遅めの出動となった今年初の渓流。

1年近く離れていた釣りの感覚を、少しずつ取り戻すように

キャストを重ねてゆく。

夏の渓流の難しさを思い出しながら、減水の渓を進んで行った。

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流れの中から出てきたイワナを噛みしめるように写真を撮る。

こんな時代では無ければ、多くの魚の内の1尾に過ぎなかっただろうが、

その魚に特別な物を感じられるのは、果たして良かったことなのか

それとも悲観すべきことなのか、僕は答えをだせずにいた。

たぶん、近い将来その価値に気づけることが出来るのでないかと思う。

そんな時が来たら、この思い出に沢山感謝したいと思う。

 

恐らく今年最初で最後の釣りを終え、

来年は気兼ねすることなく釣りに出かけられるように

なって欲しいと願うばかりです。