毎日を明日なきものとして生きる

外遊びの楽しさを探すブログ

大人の夏休み

今年の夏は各地で記録的な猛暑に見舞われたと思えば、記録的な大雨で深刻な被害が出たところもあった。明らかに異常な気候は、ここ数年で肌で感じるほどに進行しているように思える。世界情勢も経済も、コロナだってまだ先行きが見えず、いったいこの先どうなってしまうのだろうという気持ちはこの先も休まることはないように感じた。

 

夏に恒例の川へ今年も行くことができた。荷物をまとめぶらりとお気楽なバカンスが始まる。いつもながらこの瞬間、旅の始まりこそその楽しさのピークと言っても過言ではないほどだと僕は思う。例えるなら真夏に飲む生ビールのジョッキ最初の半分と言ったところか。期待と不安、そんな近い未来に旅の楽しさが集約してるように思う。

 

このとことの記録的な暑さと、雨の少なさで幅を狭める河川。地形拙い記憶から絞り出し、水量の多そうな川を選ぶことにした。この時期、選択肢はそう多くない。日中は刺すような日差しと、うだるような暑さで、人間的に釣りにはならない。そんなわけで狙いはいつもの朝マズメで決定だ。

 

久しぶりの風景、目的地に向かうまでの道は、青々と背丈をまし、そろそろ頭を下げ始めている。後ひと月も経てば稲刈りの時期になる。僕にとってその稲穂は風に揺れ、波のように走らせる光景は、この地に帰ってきた気にさせてくれる。日中はうだるような暑さでも、この地はまだ朝晩は気温が下がり、僕の地元より過ごしやすい。川はもとより、この気温差が自然にとって重要なことで、それがまだ感じられるのは嬉しいことだ。そんな失われつつある『季節感』感じながら、いよいよ入渓だ。

 

渓谷を下ると川霧が取り巻いている。川辺に立つとクーラー以上の冷風が、川下に向け流れているのを露出した腕より感じた。水中に足を踏み入れると、思わず声が出てしまうほどの水温に思わずホッとする。かなり水位は低いが、早朝の渓はなにか期待感に溢れている感じはある。

 

数投したところで魚の反応が返ってきた。サイズは小さめだが、元気は抜群に良い。ミノーめがけて迷いなく喰って来るそんな魚が多い。僕的に夏の渓はそんな元気のいい魚と水遊びするという感覚なのだ。そりゃ永く渓に生き残った強い魚を釣りたいというのは本音だが、それだけでも釣りは面白みがないような気がする。

 

竿を強くしたせいか、魚の大きさのせいか、何度も出るがその度バレてしまう。そんな中ようやく最初の1尾が写真に収まってくれた。

 

良かった、今年もちゃんと川のサイクルは耐えていない。魚を手にした喜びとともに、そんな喜びも、胸に噛み締めた。