毎日を明日なきものとして生きる

外遊びの楽しさを探すブログ

久しぶりの渓流

以前続くコロナ禍、未だに外出することや人と会うことに躊躇いもある。感染症対策をしながら少しずつ出かけることに慣れていたものの、家族など限られた人と少数でに留まっている。

そんな生活が慣れてきてしまったせいか、出かけること自体が億劫に感じるようになってきた。あんなに楽しみだった外遊びさえ、先日のワクワクは姿を潜めてしまったように、なんの情熱も湧き上がって来ないことが、新しい生活様式として馴染んでいってしまったようであった。それを象徴するように、昨年釣りをしたのは、わずかに2回。こんなことが自分にやってくるなんて、夢にも思っていなかった。

ただ、釣りに飽きてしまったわけではなく、釣りのことを考える日はそんなに減った感覚はない。

 

今年の初め、ある友人から、「今年は釣りに行こう」と誘いがあった。ちょうど緊急事態宣言も解除され、このままコロナも収束するのかなんて淡い期待を抱いていた時期だった。その時は川の解禁までは時間があるし、解禁の時期にコロナがどうなっているかも不透明な状態、「その時期になって大丈夫だったら是非行きましょう」とその時はメールを締めくくった。

3月の末、庭の福寿草が終盤を迎える頃、通年で言うと僕的な解禁の時期である。世間の動向なども気にしつつ、友人を誘って良いかどうか何日も悩み、打ち掛けのメールの文章は友人へ送信されることなく、何度も消された。

こんな時期、能天気に誘って嫌な思いをしないだろうか。断ることに躊躇しないだろうか。友人の家族はどう思うだろうか・・・。

そんなことを考えると、誘うこともままならず、外に出ることすらためらってしまうのである。実際はそんなに気を使うことでもないのかもしれないけど、自他しい友人だからこそ、そこまで考えなくてはいけないのかとも思ってしまうのである。

 

釣具店を営むその友人のお店で、何点か釣具の取り置きをしていて、こんな状況で長らく取りに行くことができなかった。親しき中にもで、支払いはすでに済ませてあるものの、いつまでも置きっぱなしにするのも忍びない。すっかり出不精になった性根を奮い立たせ、釣りの帰りに取り置きを取りに行っていいかメールをした。彼からの返事は今まで悩んでいたことを払拭するような、拍子抜けするような、一緒に釣りをしようと言う内容だった。

 

今年は雪が多く、そして3月末に気温が一気に上昇したことから、雪代の量が多いということだった。たしかに河原にはまだ多くの残雪があり、ここ数年こんな光景は見られなかった。しかし、暖冬の影響でここのところ雪が少なかっただけで、10年も前ならこれが普通だったと彼は笑っていた。

 

雪代の影響の少ない支流へ向かうも、どこの河川もすでに多くの雪代で濁っていた。それでも、僕の開幕戦に花を添えようと奔走し、1本の川へたどり着いた。すでに出発から2時間経ったときのことだった。

渓相はバツグン、川の色も良い。久々に竿を継いで、ラインを通す。

1本目はどちらともなく、どうぞどうぞと譲り合い、先行を取らせてもらったにも関わらず、ここぞと言うところに打ち込めず、場を荒らすまでに終わった。

その後も何が影響しているのか苦戦を強いられる中、交代した友人の竿に魚信があり、返す刀で竿を大きく曲げた。しかし、それもあえなくバラし、こんなタフな状況で食ってくるやつは相当デカいだろうと、人間側も俄に活気づいてきた。

この友人は釣りが上手い。上手いだけではなく、とてつもなく上手い。そんな人が僕と一緒に釣りをしてくれることは未だに信じられないし、本当にありがたいはなしなのだが、それだけでは飽き足らず、なかなかキャストが決まらないそんな下手くそな僕にもペースをあわせて一緒に笑い合ってくれる。

おお!今のはいいとこ入った!

こんな小学生のような話をしながら、交代交代に打ち込んでいく。魚を釣ることよりも楽しいこともあるんだと、こんな時代だからこそ強く思えた。

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迷走したおかげで実釣の時間はあっという間に終わり、それでもリハビリには十分すぎるほど心が癒えた。友人は車のトランクからゴソゴソと調理器具を準備し、「これ昨日作ったんだ、ここで食べよう」とテーブルを広げ始めた。それは豚バラの燻製で、最近燻製作りにハマってるらしい。

「コーヒーも持ってきたんだけどさ、豆忘れた」

それコーヒー持ってきたとは言えない、なんてツッコミも、なんだか懐かしく思えた。

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今年はこんな釣りがいっぱいできると良いなぁと思いました。